----二つの歌には強い関連性があるよね。
「あこがれの地へ」で「どんと」が書いた詞も、1行ぐらいは引用しようと思ってたし。それは「もうひとりの君」という箇所やけどね。
■生き残った者たちが、どう生きるか
----なるほど。
俺はバンドでやることを前提として曲を書いてんねんけど、たまに「これはイケてる」と自分で思えるのがある。「荒れ地にて」は「満月の夕」以来やね。バンドがどんなにひどい演奏しようが、楽曲は生きている、みたいな。
----でも、大きいショックをきっかけにして歌を作る時、往々にして独り善がりで「滑ってる」歌も多いのね。そういう点からすれば、中川〜ソウル・フラワーが、この歌をじっくりうたえているというのは、バンド全体の精神状態がいいんじゃないかと思う。
詞の面で言えば、アルバム1曲目の「サヴァイヴァーズ・バンケット」もそう。ソウル・フラワー流、中川流葬儀の仕方というか。「野づらは星あかり」もそう。これは西岡恭蔵さんが自殺したことと、関係してんのね。
----首吊り自殺だっけ。
彼が相棒を失って、ずっと追悼のコンサートをやっていた頃に、関西の『胡散無産』という雑誌に彼が原稿を寄せていた。俺、たまたまその文を読んでいて、その最後の方に、今彼女が生きていたら落ち込んでいないで次のことをやりなさいと背中を押されるだろうと。でもぼくは、この悲しみの中にいたい。そんなことを西岡さんが書いていた。俺、この文章を読んで、この人、ヤバイと思た。直感やけどね。それから1週間ほどして、新聞に自殺のことが載っていた。その時に書いたのが「野づらは星あかり」なんやけどね。