80年代に生まれた千尋にもかかわらず、十代で三味線(
三 線)を習っているとは同級生にもなかなか言うことが出来なかったそうだ。與那覇徹も同様の発言をしているが、現在20代の彼らにとってすら、沖縄にあって
三線を習うことは「ちょっと変わったこと」だった。沖縄は昔から誰もが揃って歌と
三線をたしなんでいたというのは、間違いである。みんな(特に若い世代)が普通に
三線を持つようになったのは、
りんけんバンドや、そのあとのBEGINらの活躍が大きいと彼女は言う。
しかし現在の千尋にとって、島の音楽や踊りにあふれた津堅島での少女時代は、かけがえのないものとなった。
「津堅島という田舎の生活は大きいですね。もし違う場所で生まれ育っていたら、こんなふうになっていないと思います。私の原点は
島唄です。
島唄をやってきたからこそ出せることがあるし、それを同世代の人たちにも聞いてもらえたらと思います」
沖縄でもあまり島の歌に馴染みのない若い世代に、沖縄らしい音楽の良さを知ってもらいたい。自分はそのための、橋渡し役になれたらと、千尋は言う。