戦後の沖縄音楽において多大な足跡を遺したミュージシャン、よろず漫談家の
照屋林助さんが、2005年3月10日早朝、具志川市の沖縄県立中部病院で亡くなった。75歳だった。
林助さんはここ数年、以前からの糖尿病が悪化し闘病生活を送っていた。
1999年に79歳で亡くなった
嘉手苅林昌さんに続いて、戦後沖縄文化における真のクリエイターがまたこの世を去った。
照屋林助さんは1929年4月、大阪生まれ。琉球古典を父である照屋林山に、お笑い芸、大衆芸能を
小那覇舞天に学んだ。
1957年、歌と笑いの「ワタブーショー」を立ち上げ爆発的な人気を呼ぶ。ワタブーショーはラジオ番組ともなり離島でもくり返し放送されたため、沖縄でデブ(わたぶー)の林助の名を知らぬ人はいないほどの存在となった。この活動の中から生み出されたラテン風味のポップ・サウンドは、現在のオキナワン・ポップの原型となった。
お笑い、島唄、王朝の古典芸能、島言葉など沖縄文化の大家としても知られ、その異能は多方面にわたり、ゆえにナゾの人物と恐れられることすらあった。
沖縄ブームの中心的存在、
りんけんバンドのリーダーである照屋林賢は長男。このほか、コザ(沖縄市)を中心とした若い芸能者がこぞって師事し沖縄の文化の真髄を学んだことなど、晩年まで特筆すべき活動を続けた。
(写真は『沖縄漫談 平成ワタブーショー 1』)
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