■China Sadao
喜納昌吉、りんけんバンドの照屋林賢と並ぶ、現代沖縄大衆音楽のリーダー。1945年、知名定繁の子として生まれる。大阪時代から音楽的才能を認められ、57年、米軍統治下にあった沖縄へ密航し、登川誠仁の弟子となる。同年、レコーディング・デビュー(「スーキカンナー」)。若い頃から将来を嘱望されたが、それに飽き足らず78年の「バイバイ沖縄」に代表されるような批判精神を盛り込み、洋楽とのブレンドを計るなど新基軸を打ち出した。90年代以降、ネーネーズの実質的なリーダーとしても活躍、95年に再開された「琉球フェスティバル」でも総合プロデューサーを務めた。[Sep.2001]