基地移転に揺れる
辺野古。沖縄本島の北部、それも一般的な観光とはまるで無関係のような東海岸にある集落がこの場所だ。沖縄本島で「自然」に触れるなら、ヤンバル(北部地域)だし、開発で相当にズタズタにされた西海岸よりも、圧倒的に静かな「東」がポイントでしょう。
…だが、ここにも米軍基地がある。山間に射爆場がある。
なぜこんな所に? ということを、日本に暮らす一人として実感するためには「あの
辺野古」へ「観光」に出かけるのが一番。ということで、
辺野古周辺を写真で紹介することしよう。ぜひおでかけあれ。
(文・藤田正)
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辺野古の入り口。「アップル・タウン」とは
辺野古の別称だけど、リンゴが特産だからじゃなくて、アップル中佐というかつての米民政府土地課長の名前にちなむ。米軍基地(キャンプ・シュワブ)が建設された時に、併せて兵隊相手の歓楽街が出来たのだが、この中佐が街づくりに尽力したから、という理由だそう。ドル札が乱れ飛んだというかつての栄華(?)が夢のような静けさだ。
辺野古の北、瀬嵩の浜から大浦湾をはさんで南方のキャンプ・シュワブを望む。瀬嵩の浜は反基地のイベント「満月まつり」でも知られる場所。
辺野古の浜から見たキャンプ・シュワブ。子どもたちの後ろに鉄条網とコンクリートの「仕切り」があるが、そこから向こうが「アメリカー」。この海に「北限のジュゴン」が生息する。
立て看板はいろんな場所に。「銭金に迷ゆて、基地ゆ認みりば、孫が世になて、悔やで泣ちゅさ」(琉歌の形式)。
沖縄工業高等専門学校。2004年に開校した沖縄初の高専である。基地を受け入れる代わりに、この過疎の地域に大金が注ぎこまれている。
これは本島南部、糸満にある「ひめゆりの塔」。沖縄戦の悲劇の象徴の一つだ。「ひめゆり」と
辺野古…戦後、何が変わり、何が変わらなかったのだろうか。
『週刊金曜日』(2007年3月9号)。おそらく今年の日本で、最も重要な音楽イベントになるであろう「Peace Music Festa!
辺野古’07」の2ページのレポート(文・藤田正)が載っている。