日本でストリート系と自ら宣言しているミュージシャンに、ずいぶん「ええしのボン」がいる。家からオカネをたっぷりせびって、海外の「本物」のストリートの現場へちょっと出かけて、安全に「ご観光」…なんて話、わりとあります。帰ってきたら、もうスッゲー汚い英語(らしきもの)を得意になって喋っている。暮らしているのは豪邸なのに。
あるいは、パンク系でバリバリに名を売っている「あのバンド」のお兄さんたちが、ファンの目の届かないところではジーパンなんか絶対に履かないで、高級ブランドにファンシーな外車を乗り回している、ってことも、知っている人は知っているよね。
まぁ、それは人の勝手だからいいんだけど、そういった奴らとは別次元で音楽やってるミュージシャンもいる。
ここで紹介するのは、そんな人と、そんな二人組。
趙博と
寿[kotobuki]だ。
趙博は「在日関西人」「歌う浪速の巨人」をキャッチフレーズに、小さなイベントでギター1本で全国をこまめに飛び回っているかと思えば、故マルセ太郎から学んだ芝居に取り組む。その意欲的なこと。テーマはマルコムXから、もちろん自身のことである在日・半島問題、コイズミ-アベ腐敗政権、アイヌ、差別とこれも枚挙にいとまがない。
2007年2月に発売されたばかりの『夢・葬送―浪花の唄う巨人・パギやんSong Book 』は、題名にあるように、いつの間にかプロ・シンガーになってしまった(少し前は河合塾の先生だと思っていたのに)、愛称「パギヤン」の歌のあり方を、自分自身のエッセイと楽譜と、太田順一の写真とで追う本である。
でっかい身体。でっかい声。でもパギヤンの心はずいぶん細やか…ということがわかる本でもある。彼の半生を語った本に『ぼくは在日関西人』がある。
辺野古で開かれた「
Peace Music Festa! 辺野古’07」にも参加し、喝采を浴びていた
寿[kotobuki]も本を出した。
寿[kotobuki]は、ウチナーンチュのナーグシクヨシミツ(宮城善光)と、ヤマトゥーンチュのナビィのユニットである。
本は、彼らの20年(そんなにやっていたとは!)を追ったもので、ナビィのダンナである國貞陽一が文章にまとめている。
面白いのはナビィの発言で、(かつて)どこでもいいから共産圏でライブをしたいと熱望していたということだ。なぜなら「体制の違う同世代の若者たちが、どんなふうに自分たちの音楽を聴いてくれるか、知りたい」から。そして1991年、エストニアのフェスティバルに出演、大いに受けて、そして人生が変わった。
「偶然出会う無名アーティストや、名もなき老人の島唄や、旅の途上で聞く各国の人の音楽に衝撃や感動を受けたりするように、音との出会いとは技術云々ではないのである」(ナーグシクヨシミツ)
彼らが駆けつけるのも、先の辺野古でのフェスティバルであったり、ドヤ街のコンサートであったり、人と人とが出会う場所、音楽が本当に必要とされている場所だ。
ただただ消費して、それでおしまい、あるいは何十万アクセス&ダウンロードうんぬんという産業音楽のあり方とは、一線を画していたい。そう
寿[kotobuki]は、この本で語っている。
(文・藤田正)
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『夢・葬送―浪花の唄う巨人・パギやんSong Book 』
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『ぼくは在日関西人―歌う浪速の巨人・パギやん奮戦記』
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『寿 [kotobuki] 魂』