上々颱風(紅龍、白崎映美)
photo:寺沢有雅
 日本のポップ・バンドとして独自の道を歩んでいるのが、上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)である。
 彼らは、日本やアジアの国々が長い年月をかけて培った大衆音楽を吸収し、自分たちの個性と融合させながら1990年代に新風を送り込んだ。メジャー・デビューから10年余、河内音頭や沖縄音楽、演歌、中国歌謡といった様々な要素を取り入れながも、彼らが常に一貫した音楽を聞かせるのは、「大衆の音楽」という視点を見失っていないからだろう。
 2000年7月、アルバム『8』をインディーズから発売。
 その半年後、彼らにとっては初めてのライブ『上々颱風パラダイス ライブ!』(M&Iカンパニー)がリリースされた。またこのアルバム制作と前後してメンバー変更があり、現在は6人となった上々颱風である。
 上々颱風はこれから何をしようとしているのか。
 バンドのフロントとして欠かすことのできない白崎映美と、多くの詞曲を手がける紅龍に話を聞いた。(2001年2月21日、インタビュワー:藤田正)。
photo:Beats21
■エピック・ソニーとの契約切れ
----アルバム『8』の時期を、今から振り返ってもらえますか。
 紅龍「アルバムの制作を始める時には、ある種の解放感があって、自分をさらけ出して作ろうという感じでしたね。メジャーで10年やってきて、その後で(契約が切れたから)もう一度、デビューするぞという気分かな。レコーディングは期間が短かったりと条件は以前よりはキツかったけど、逆に自分たちのエネルギーをアルバムに封じ込めることはできたと思います。今でも、その余熱はありますよ」
----エピックとは7枚目で契約が終了したわけですね。
 紅龍「そうです」
----上々颱風とエピックもそうだけど、あの頃、メジャーを離れたバンドやアーティストは多かった。
 紅龍「エピックにはアーティストを長いスタンスで育てるという流れがあったんだけど、それも止めようかなという時期だった。ぼくらと同じようなスタンスにいる人たち、つまり、セールスが中間的な人たちはサヨウナラになったということです」
----2000年あたりというのは、メジャーがドラスティックに変わった時でもあった。
 白崎「私たちの会社のスタッフは、上々颱風を愛してるからやっているというようなスタンスでした。でも大きな会社だから、大元の方針が変わったらどうしようもないですね。だから『8』は、これまでとはずいぶん違った雰囲気の中から出来あがったアルバムです。それまでは自分たちのレコーディングでありながら、どこかによそよそしい部分があって。『8』は、自分たちのそのままの気持ちがCDになったので、私は凄く嬉しかったです」
 紅龍「以前だと、自分の演奏の担当が終わると家に帰ってしまったりしてましたから。『8』では、用のなくなったメンバーも隣の部屋に集まってた」
 白崎「私たちがよく言ってるように、場が持つ力ってあると思うんです。CDでもスタジオの力というのが、かなり大きくある。立派な器材がデンとある、お金をかけたレコーディングだと、すべてとは言わないまでもそういった場に自分の声が左右される。『8』はもっと生身の上々、特に格好を付ける必要もないというような姿勢が出せたと思います」 
 紅龍「何しろディレクターも自分たちでやるんだから、いやがおうでも何を作るのか、はっきりしてくるよね」
----アルバムには山下洋輔まで入ってる(「GHETTO BLASTER」)。
 紅龍「せっかくアルバム作るんだから、いかにもゲストらしい方を呼ぼうと考えたんですよ。でも上々颱風と一緒にやってもらえるような人って、あんまりいないんですよ(笑い)。セッション仲間も大勢知ってるわけじゃなし。というところで思い浮かんだのが山下さんだった。山下さんは、ぼくらのことを気にしててくれて、文章にも書いてくださってる。でも、あんな方がぼくらの伴奏を付けてくれるのかなとも思ってました。そしたら気軽に引き受けて下さった」
 白崎「山下さんは、私と(渡野辺)マントがうたってるデモを聞いてくれて、もうこれでいいんじゃないかとすら言ってました。でもそれは、自分がどういう風に加わればいいか、真剣に考えてくれているということだったんですね。じゃあやるんならライブで、3人で録音しようと」
----そういった、ミュージシャン同士の腹を割った付き合いというのは、あんがいメジャーでは難しいように思うけど。
 白崎「そうですね。山下さんがいいと誰かが提案したら、すぐに実行に移せないから」
 紅龍「メジャーだと、他に誰かいないの?とか、会議にかかったりとか、ピンときたアイデアが消されていく。慎重ということも大事だけど、思いついたら相手の事務所へとりあえず打診してみるというフットワークの軽さはなくなる」
----『8』からは衣装も替えてしまった。
 紅龍「イメージも変えたかったんですよ。ぼくらはアジアのバンドで、一目見れば、ああ歌と踊りの大衆芸能ですね、というように格好だけでもメッセージが読み取れた。もちろんそれは悪いことじゃないけど、たまには恐い顔してカメラを睨みつけてもみたいじゃない」

■デビュー10年目の区切りとして
----『8』が発売されたと思ったら、すぐにライブ録音。
 紅龍「せっかくフットワークが軽くなったんだから、意気盛んなところを見せてライブ盤でも出そうかという話になっていったんです。メンバーも二人辞めちゃうから、記念にもなるし、10年の区切りにもなるし」
----藤沢の遊行寺で録音するのは、最初から決まっていた。
 紅龍「いや、メンバーには直前まで知らされなかった。スタッフは、前からぼくらに教えておくと緊張すると読んでいたんでしょう」
----アルバムには『8』から5曲も入ってますね。
 紅龍「特別に意識はしてなかったんだけど、これからまた長い道が始まるわけだし、昔からの大定番がずらりと入っている、ベスト・オブのような選曲じゃなくて良かったかなと思いますよ」
駒場寮風呂無電気ライブ(アルバムから)
-----ボーナス・トラックには東大駒場寮でやった伝説の「風呂場ライブ」から2曲収録されている。
 紅龍「97年ですね」
 白崎「まるで蝋燭ショーでした」
 紅龍「(ジャケットの写真=右を見ながら)これ、本当はもっとアングラ・ムードだったんです。暗い所に蝋燭を立ててやって…」
 白崎「この写真が何で明るいかと言うと、蝋燭のオブジェが燃え出しちゃったからなんですよ」
----消防法違反の上に、火事。
 紅龍「おまけにこの日は駒場に機動隊が来るんじゃないかという緊張感があって、さらに寮で火事まで起きそうになってる」
 白崎「誰も演奏なんか聞いてやしない、みんな火を見てんだもの」
----寮の風呂場へ呼ばれて、実際にやってしまうバンドなんで珍しいよね。
 紅龍「本当にそうですね」
MYCD30087
----今回のライブCDは、販売がポニー・キャニオンになった。
 紅龍「全国のCDショップに供給できるわけです」
 白崎「インディーズは、やはり全国のみなさんに届かないから」
 紅龍「今さらメジャーはダサいぜ、なんて言う時代じゃないし、とにかく普通の人が簡単に上々颱風を買えるようになるのはいいことですよ」
----内容の点では、どうですか。
 白崎「ライブが終わってから、メンバーで話し合いをしたんですね。私たちはライブを観に来てほしいと言ってきたバンドなのに、こういうアルバムを出すべきなのか、とか。それで、まず音を聞いてみたわけです」
 紅龍「イヤなライブだろうなと思ってたんですよ。ミュージシャンというのは、あそこを失敗したとか、まずはそういう風にしか考えないからね。でも聞いているうちに、もしかしたら大丈夫?という印象に変わっていったんです」
 白崎「ライブ当日は、暑い日だったし…」
 紅龍「関東で一番に暑い日で、日中のリハーサルでもうグッタリだった。だから魂を奮い起こしてライブをやったから、もちろんマジにやってるんだけど、結果はどうだったのかメンバーは半信半疑でした。でも録音を聞き終わった時は、気持ちが全然違ってた」
 白崎「この日は年に一度の私たちのお祭りだから、メンバーも気持ちは昂ぶっていたんですよ。だから、音だけだとそのテンションの高さが裏目に出たんじゃないか、とかね。でも実際の演奏は、お客さんを前にして、私たちならではのステージをやっているんだというムードがとてもよく伝わってきた。それでアルバムとして出せると思うようになりました」
 紅龍「イケイケのライブだよね。ベテランの円熟じゃなくて、まだ青いロック小僧のライブって感じですよ」
 
■ロック・バンドとしての上々颱風
----ライブ・アルバムの後に、後藤まさると吉田よしみが抜けた。
 紅龍「ずっとやってきたから、自分のことをやりたくなるのも分かりますよ」
----じゃあ白崎さんは、なぜ上々颱風にいるの?
 白崎「まだいますね。こんなに長くなるとは…」
 紅龍「そんなに、しみじみしなくたっていいじゃんか(笑い)」
photo:Beats21
 白崎「私は、上々颱風はロックだって、だんだんに気づいていった人なんですね。最初は、メンバーに入れられちゃったという感じだったけど、このバンドはロックなんだと気づき始めて、だからここにいるんですよ。私は上々颱風って何だろう、上々颱風にいる私って何だろうと、ずっと考えてきましたから」
 紅龍「初めて会う人に今でも上々颱風って何ですかとか聞かれるんですよ。紅龍さんて沖縄出身じゃないんですね、とか。いったいどういうバンドなんですか?とか。ぼくらはそのたびに、アジアの芸能が好きで…と、その人に向かって一から話しかけるわけです。これは疲れることではあるんだけど、必要なことですよね。上々颱風は10年間やってきて、これからも色んなことにチャレンジするわけだけど、同時に自分たちのマンネリズムにも耐え得る力がないといけないわけです。違うメロディ、違う声でうたうにしろ、同じことを同じ人間たちが主張するわけだから、どうしてもまとまってしまう宿命にある。だからと言って、上々颱風は誰かが言うように<チャンチキ・ロック>だからと、自らがその穴の中に入っちゃダメなんですよ」
 紅龍「それよりも、世の中がどのように変わるか誰にも分からないんだから、ぼくらは常にビリビリしていたいんです。ぼくも刺激を受けたいし、与えたい。だから、いつもニコニコして大人から子どもまで楽しめるロック・バンドです、と言うのも面白くないんですね。白崎がロックだと言う意味というのは、何かを創れば何かを壊していくし、人がこう出るのであれば俺たちはこういう風に逆らう、そういう心のスタンスの取り方を言っているんじゃないかと思うんだけどね」
 白崎「紅龍さん、いいこと言いますね(笑い)」
 紅龍「その言い方、あんまりロックじゃないね」
 



上々颱風ライブ:
6月16日(土)17日(日) 世田谷パブリックシアター
7月7日(土) 新宿花園神社七夕コンサート

上々颱風のホームページ:http://yougey.com/

( 2001/03/22 )

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