市川捷護(『ジプシーのうたを求めて』プロデューサー)
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 ここ数年、日本でもジプシー(ロマ)の音楽が注目され、映画やライブも盛況だ。
 2002年4月24日に発売された『ジプシーのうたを求めて』(ビクター)は、未だ謎多き彼らがどこからやってきたのか、その源流をインドのラージャスターン地方に求めたフィールド・レコーディングである。
 世界で初めての録音ではないかと言われる、この貴重な作品を企画・プロデュースした市川捷護(いちかわ・かつもり)氏に話を聞いた。  
 市川氏は、『小沢昭一のドキュメント日本の放浪芸』(1971年度日本レコード大賞企画賞)ほか、日本やアジアの芸能に関して数多くの作品をプロデュースしてきた人物で、2001年にもプロデュースした『小沢昭一/夢は今もめぐりて』が日本レコード大賞企画賞を受賞している。
 聞き手、藤田正(Beats21)。2002年5月14日、ビクターエンタテインメント社で。
----このレコーディングをやろうとしたきっかけは?
 日本の芸能、特に放浪芸をやってきましてね、それが私の仕事の出発点だったんです。その後、映像の方へ進んで、主にアジアにターゲットを絞ってより民族(民俗)音楽的なジャンルもやってみました。
 私は最初は日本的なものに関心があったんですが、だんだんと「日本的なものって何だ?」「日本的なものって、実はないんじゃないか」と分かってきましてね。後年、映像の仕事でアジアの色々な場所へ出かけてみても、芸能のルーツってほとんどあっちにあるんです。
 特に私が関心があるのは、芸能の中でもオカネを稼ぎしかも1箇所に留まらない芸能なんです。その究極がジプシーですよ。そういう観点で、ジプシーの根元を訪ねてみようと。
 文献としてはジプシーのルーツを探った研究はいくつもあります。しかし、音なり映像なりで「あそこがジプシーの発祥の地ではないか」とやったのはこれまでになかった。だから彼らに会えるかどうかも分からなかったんですが、出かけて行ったというわけです。
----インド北西部にあるラージャスターン州のタール砂漠へ、流れ流れていく一団を追いかけようとした。
 学校の先生だったら、1箇所に狙いを定めてそこを何度も調査を繰り返す手法が多いようですが、私の場合は多くが2回行けるような場所ではありません。日本の場合ですと、放浪芸をやっていた過去を明かにされたくない人もいますし、とてもガードが固い地区もある。中国では、外国人に対して開放されていない少数民族が住む辺境へ出かけたりしました。そこにこそ、他の民族の影響を受けていない人たちがいるからなんです。
Beats21
 事前によく調べはするんですが、「アタリをつける」ことが大切なんです。長年のカン、匂いを嗅ぎ分ける能力とでも言いますか、これが一番重要なんですね。そういう意味で、ジプシーに関してもラージャスターンのジャイサルメールあたりではないかと、一緒に行った市橋(雄二)と計画を練ったわけです。
----それで、カンが的中した。
 私としてはそう思います。偶然でしたけどね。たまたまコーディネータになってくれた現地の方が、私たちが何を望んでいるかを理解してくれて観光地じゃない所へ連れて行ってくれたわけです。
 そこは半定住の人たちの村でした。インドでは、少し前までは漂泊の芸人だった一団にも戸籍が整備されるようになって、子どもたちも学校へ行くようになっている。私たちは、芸能をしながら、同時に土地を与えられて農業でも生活している村へ何ヶ所か訪ねたんです。
 もちろんそこにも凄い芸人がいて、一部はCDに入ってますが、そういった村の一つでたまたま取材している時に、村の入り口に女の4人連れが入ってきたんです。
----それが「ジョギー」という人たちだった。
 私たちは同じ村の人だと思っていたんですが、コーディネーターが「彼らはここの住人じゃないから、こちらへ呼んでみよう」と言い出した。それで、歌を頼んだら即座に歌い出したというわけです。彼らはいつでもすぐに歌える心構えの出来ている本当のプロでした。
 それで彼女らに話を訊いたら、ダンナは蛇使いだというし、これは間違いないと。
 彼らは年に何カ月かは門付けに来るんだそうです。半定住の芸能の村に門付けに来るんですから、凄い人たちだなと。
----ということはジプシーの源流と思われる地域にも、今でも漂泊する芸能者と、半分定住して生活の中味が違ってきた人たちがいるんですね。
 村も新しい波を受けて、年寄は今や引退して楽器も壊れてしまっていたり。そういう村が砂漠の中にいくつかあるんです。芸能を中心とする村とか、鋳掛け屋さんの村とか、ジプシーの元になるような職業集団が点在している。そこを巡りながら、門付けをやり、また観光シーズンになると観光地へ集まってくる外国人から現金収入を得る。これが「ジョギー」と言われる人たちでした。
 彼らは特に蛇使いを職業にする人たちで、世襲としてこれをずっと受け継いできた。
 私たちはその集団に出会ったわけです。彼らは周りに遮蔽物などない場所に、吹けば飛ぶようなテントを置いて生活していました。長い時で3カ月ほど1つの場所にいて、また違う所へ移っていく。ジョギーでも戸籍を持って半定住の人たちもいるんですが、私たちが出会ったのはそうではありませんでした。
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 そのあと、宿泊していた宿の近くに音楽大学の学生たちがいたんでジョギーが生活している場所をほかにも調べてもらいました。候補として9つくらいの地名が出てきて、そこにも全部出かけたんですが、彼らはすべて定住でした。それくらい「トラベリング・ジョギー」は少なくなっているということです。
----CDの前半に入っている漂泊のジョギーたちは、搾り出すような強烈な声というのか、浪花節だとも言えるし、あるいはフラメンコの源流だとも言えるし、とても示唆的ですよね。後半に入っている洗練された音楽芸人、マンガニヤールとはずいぶん雰囲気が違いますね。
 マンガニヤールもね、もともとは同じだと思います。ジョギーとマンガニヤールの違いは、北インドの古典音楽と接触したかどうかの違いだけなんです。マンガニヤールと呼ばれる人たちは、歴史的にマハラジャに仕えてきて、音楽もそのためのものですから、洗練されていています。ジョギーにはそういう影響がまったくなくて、自分たちの音楽だけを保ってきた。その違いです。
 ジプシーの映画で話題になった『ラッチョドローム』(フランス、トニー・ガトリフ監督、1993年)で聞ける音楽は、このCDの後半に入っているのと同じマンガニヤールの音楽なんですよ。
 写真は、蛇使いの笛「ビーン」。
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----市川さんとしては、ジョギーやマンガニヤールがいるあの場所こそが源流だという確信を得たわけですね。
 言語学的にもほとんど間違いないだろうと言われて、私もそう思いますが、これについては専門家ではないから断言はできません。ジュディス・オークリーという学者がいて、彼女はイギリスのジプシーをものすごく深く調べている人ですが、彼女は今でも反対意見です。こういう意見は、尊重しなければなりません。
 まして我々がやったのは音ですから。過去の音も存在しないわけですし。これから世界の人たちがこのCDを聞いて、どう思ってくれるかでしょう。
 私個人としては間違いないと思っています。あの音楽が、トルコとかを渡ってヨーロッパへ行ったんだという、その基層の部分がこのCDに入っていると思います。
(おわり)
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( 2002/05/15 )

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