「音楽紹介業としてのレコード屋稼業」
レコード・ジャングル 中村政利
関西のとある老舗レコード店主が「この稼業はちっとも実入りがええことないのに、その厳しさを知ってる若い者に限って独立したがる」とのたまう。開店して25年になるこの店からここ数年で番頭クラスの店員が相次いで4人も独立し、自分でレコード・CD店を始めたのだそうだ。考えてみれば当ジャングルからもふたりの若者が独立し、それぞれ7、8年前から一国一城の主としてけっして楽ではない稼業を立派に切り盛りしている。
音楽やレコードを好きだから常に接していたいということと、努力と才覚さえあればどれだけでもおもしろい商売を展開できるかもというロマンチックな願望から手探りでこの商売を始めたのがボクたちの世代だ。ところが90年代以降、状況がどんどん悪化するなかで既存のレコード店での修行を経て、この業界の酸いも甘いも分かった上で独立した30歳代の若者たちがあまたいる。かれらにこの稼業を選ばせたものは何だったのだろう。
ひとつ言えるのは、かれらのだれもが、自分が投げ込んだ石で社会的に大きな波紋を起こそうなどとは考えず、せいぜい自分と仲間たちの楽しみとしてささやかながらも手堅く商売を続けていこうとしていることだ。その点は、店と比例して夢を拡大させていきながらももがき苦しんでいるボクたちをむしろ反面教師として、かれらはまず自分自身にとって居心地のよい空間を築こうとしているように思われる。だが、ただ居心地の良い時間と空間とを求めるのなら自分の部屋ででもくつろげばよいことで、だれが好んで実入りも少なくリスクも多く経営の安定しない中古や輸入のレコード屋などを始めるものか。
『なんでも鑑定団』というテレビ番組がある。なにやら胡散臭い鑑定士たちのなかでは北原照久というおもちゃ鑑定士がもっとも好きだ。なぜなら北原が価値の基準として最優先するのはコレクターたちの品物に対する思い入れの度合いだからである。かれはきまって「その品なら○万円払っても欲しいという人はきっといます」という。すなわち、かれの品物にたいする評価はあくまでそれを求める人の気持ちによって決定され、社会的に評価が定まっているわけではけっしてないことをうかがわせるのだ。いっぽう西洋アンティーク鑑定士のIというなまずひげのオヤジはいつでも歴史的評価や、由緒正しさや、伝統や、ブランドという社会的評価を持ち出す。そしてあげくのはてには「まだまだこれから価値が高まるから持っていらしたほうがいい」などと言う。評価のベクトルがまったく逆だ。言い換えれば本音の拝金主義をさまざまな権威づけでカモフラージュしているだけなのだ。
Iほど露骨ではないにせよ、世の鑑定士と呼ばれるひとびとの多くは知識を武器に物に社会的な評価を確定させる。あのバブル経済の時代、雨後のたけのこのように乱立したレコード店の多くも一種の拝金主義に毒されたセレクト・ショップであった。社会的(業界的)に評価の定まったいわゆるレア盤を途方もない「標準的な」プライスをつけて展示し、客たちも個人としての思い入れとは関係なしに、死ぬまで真剣に聞きもしないようなレコード収集に翻弄させられていた。
そこには、もはやレコード屋本来の目的であるはずの音楽を提供する姿勢など見られなかった。
そもそも盤の希少性と音楽的な価値とは無関係である。個人の感性に訴える音楽なればこそ、ひとによって評価が異なって当然。人の数だけその人にとっての名盤があって当然。たとえ値段のつかないような駄盤でも、あるひとにとっては終生忘れえぬ名盤であることはよくあることなのだ。
ボク自身はレコード屋とは音楽紹介業だと思っている。中古盤を取り扱っていれば、国や地域や時代を越えてさまざまな音楽が集まってくる。国内盤として発売されるCDの種類も数多いし、さらに輸入盤ともなれば世界各地の文化を反映した数えきれないくらいのディスクが日々発売されている。わずかな情報の載った膨大なカタログからそれらのなかから、店にとって、客にとって、そしてなにより自分にとっての宝物となるような音楽を選びとり、解説し、展示してゆく。自分が介在しなければ決して人の目に触れ、ひとの耳に響き、そしてそのこころに刻み付けられるようなことの無かっただろう音楽を紹介し、かれらの人生になんらかの刺激を与える。その喜びはなにものにも代えがたい。けっして、あらかじめ設けられた価値ではない。その評価はわれわれが提示し客とともに作っていくものなのだ。おそらく若いレコード店主たちもその喜びゆえに先輩の志を受け継ごうと考えたのに違いない。
今回は、そんなジャングルの店頭商品のなかから、昨今ほとんどの出版や放送などのマス・メディアから無視されて紹介されることの少なくなった、サルサの特選CD3点をレコード・ジャングル社長の中村一子が披露する。
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