文・藤田正
少し前のラジオで、爆笑問題の太田光が、
忌野清志郎は世間ではロックだと言われているが、彼はそんな主流じゃなかったし、音楽もリズム&ブルースじゃないの?と語っていた。
的を射た意見である。日本では、奇抜なカッコウをしてバンドを連れていれば、おおよそ「ロック」とされる。実は、これは音楽ビジネスという産業のための商業的区分けであって、音楽的分類とは異なる。
実際として、彼の一見奇妙な、リズムから外れているんじゃないか?と疑いたくなるほどに粘っこいあの歌唱法にしても、ぼくらブルースやゴスペルなどに親しんできた者にとって「清志郎は、苦労してあそこまでの独自性を作り上げた人だ」という感慨がある。「根」の部分はつながっていても、オレはオレだという個性を作り上げない限り、それはコピーであって、清志郎は黒人的歌唱に敬意を払いながらも「オレの歌い方」を作り上げたからこそ、表現者として高い評価を受けるべきなのである。
また清志郎の作詞となる「雨上がりの夜空に」が代表的だが、セックス描写や非合法な品々を、乗り物や食べ物といった「身近な物」にたとえることも、リズム&ブルースが一番に得意とするところだった。「雨上がり…」ほか無数にあるヤバい系の歌詞は、まさに清志郎流の(考え抜かれた)温故知新であり、これも、主流(黒人にとっては白人社会)の規範に対して被差別の者たちが歯向かおうとする姿勢が「根」にあって、ここからかつてのアメリカに新しい白人音楽が生まれた。それが原義としてのロックなのだが、
忌野清志郎はこの原義を肌身に染みて理解し、独自の歌詞と歌唱に発展させることができた日本における特別なミュージシャンだった。
つまり、
忌野清志郎は立派な「ハンパ者」だったのである。
ハンパ者の特技は、悪ふざけだ。意図するにせよ、しないにせよ、優れたパンパ者は時に主流の壁にケリを入れ、混乱を呼び起こす。これに若者が喝采する……少し前まで日本にもこのカウンター・カルチャー的な構造が存在したように思う。
清志郎は、歴史的にいろいろな騒動を起こしてきた。RCサクセション時代の八八年、反原発をテーマとした「ラブ・ミー・テンダー」を出そうとして、契約するメジャーから発売中止処分を受けたのもその一つである。
これもとてもいい歌だった。
あるいはThe Timers(大麻〜ズ)というバンドを結成した時も、悪ふざけ、騒動を起こした。テレビの生の歌番組で、FM東京(当時)を名指しで徹底批判したのだが、なんともはや、使ってはいけないコトバの連発&連射であった(八九年一〇月)。
「日本ロック史に残る」とも言われるこの「事件」、ジョン・レノン&ヨーコ・オノが、かの「ウーマン・イズ・ニガー・オブ・ザ・ワールド」を、アメリカのテレビにおいて、黒人への蔑称「ニガー」がどんな意味を持つかも語りながら歌った行為と同じような「ショック」を我々に与えたことは間違いない(両画像はYou Tubeにある)。
ただ、〇九年という時点から振り返れば、清志郎のような主流であるわけがない人たち(正統なる芸能者)にすら、日本のメディア社会は日を追って「マジメで面白いだけの存在」であることを求め、正真のハンパ者である
忌野清志郎は心の中で、苛立ちと諦が交差していただろうとぼくは想像するのである。
かつてぼくは『
メッセージ・ソング/「イマジン」から「君が代」まで』(解放出版社、二〇〇〇年)という本を書いた。
そのラストに、彼のパンク・ロック版「君が代」(九九年)のことについて触れた。そう、「国旗・国歌法案」が可決成立した直後、この歌がリリースされようとした。でも、法案そのものは議論に沸いたものの、彼の「君が代」については、収録されたアルバム『冬の十字架』が(メジャーでは)発売中止なったという記事だけで、ほぼ終わり。なんだこれは? 同書でぼくは「私は『君が代』の『君』が天皇をさすのかどうかの議論よりも、忌野版『君が代』がほぼ不問に付されたことのほうがショックだった」と書いた。この傾向は、今さらに深刻であるように思う。
歌に「力」はあるかではなく、歌は「力」を削がれてしまったのではないか。清志郎の死を契機に、改めてぼくはそう思った。
*初出:「週刊金曜日」2009年5月22日(751号)
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