レコード・ジャングル 中村政利
16歳の息子が音楽に夢中だ。自分でもバンドを組んで、ギターを弾いていたりする。そんなかれが自由な自己表現の場として選んだのがロック・バンドというスタイルなのだ。
しかしロック・バンドという表現形態はけっして新しいものではない。ボクが高校生のときにバンドを組んでいた30年以上前ですら、新しいものではなかった。
電気化されたシカゴ・ブルースのバンド形態をその基本的なフォーマットとするなら、すでに半世紀以上を経ている。ギター2本にドラムとベースとキーボードという基本的なスタイルには半世紀過ぎてもなんの変化も無く、様式化されつくしたくらいに古いものなのだ。息子の世代ですら、50年代のビンテージな楽器や機材にあこがれるというのだから、ロック・バンドというものはもはやレトロな価値観がまかり通る、もっとも保守的な音楽形態のひとつといってもおかしくないものだ。
じっさい、欧米のロックがレベル・ミュージックとして社会に立ち向かっていたのはせいぜい60年代までだったろう。ボクはといえば、74年に、プログレとグラム・ロックが流行するのをきっかけにロックへの情熱が急速に冷めてしまい、イーグルスが『ホテル・カリフォルニア』で対抗文化としてのロックの消滅を嘆いた1977年には、そのイーグルスですら興味の対象ではなくなってしまっていた。
おかげで、初期のロックンロールと同様に、「衝動を音楽化する」という志向を持ったパンク・ムーブメントの時代に乗り遅れ、パンクはあとから学び直さなければならなかった。
そうなのだ。「衝動を表現する」ということこそがロックの生命なのだ。
いまはふやけた青春小説家に堕落してしまった片岡義雄はかつてはすぐれた音楽評論家でもあった。かれが33年前にニューミュージック・マガジン誌に書いたものほど初期のロックンローラーを素晴らしく描写したものを他に知らない。
「たとえば、なにかこう、もがき苦しみながら、自分の頭ななかにある脳ミソの一部分をつかみ出し、そこにきざまれているシワシワを指先でのばし、展開し、さあ、これがオレだよ、と言っているような、そんなことが明らかに感じられるうたい方であり曲であり歌であり、そして、人なのだ」。
それはそのままパンク・ロッカーの生き様でもある。ロックンロール誕生から25年を経ての、そのもっとも大きなリバイバルが70年代末のパンク革命だったのだ。
片岡が描写したような衝動はロック・スピリットと呼ばれ、おおきなタテノリのリズムをともなって表現される。ロックで踊る人々は、たとえ精神的な連帯意識、共同体意識で結ばれようとも、その踊りそのものは輪を作ることも無いしパートナーさえ必要としない。ロックが鳴る場で、あくまで個人でそのピョンピョン飛び跳ねたり、勝手気ままに身体をシェイクさせたりするのはそのタテノリのリズムのせいなのだ。
いっぽう、ロック・スピリットが生まれる30年以上前から、ヨコノリのリズムで音楽に生命を与えてきたスウィングという感覚がある。合州国で20世紀を代表する偉大な音楽家デューク・エリントンはかつて「音楽にジャンル分けは不要だ。いい音楽かどうかだけが問題だ」と語りジャンル分けを拒絶する一方、"It Don't Mean a Thing If It Ain't Got That Swing"「スウィングしなけりゃ意味がない」という曲を作って、スウィングという感覚の実現には執着した。
1920年代にデューク以上に数多くのレコードが発売され、当時のトップ・ジャズ・バンドであったポール・ホワイトマン楽団が今日では一顧だにされないのは、その音楽にスウィングが乏しかったからと説明される。それでは20年代の人々がデュークよりもホワイトマンを選んだ理由は何だったのだろう。おそらくは、音楽に生命を与えるスウィングの肉体的なノリを、レコードを家庭で楽しむような上流社会の当時の人々はセックスに直結したふしだらなものとして忌避したからだと思う。エロスとも呼ばれる肉体性こそが音楽に永遠の生命を与えるものであるのにかかわらずだ。
スウィングは人の気持ちを晴れ晴れと高揚させ、身体をゆすらせ、相手を見つけてダンスさせ、誰かにやさしく接したいという気持ちにさせる。パートナーを求めるという意味ではロックの個人主義とは対極にある感覚かもしれない。
そんなスウィングが、アメリカでロックが行き詰まった70年代半ば以降、見直されるようになった。もちろんロックに幻想を抱きその変容に挫折感を抱いた人々がその担い手であり、20年代、30年代のスウィングを感覚的には受け継いではいても、レトロな回顧趣味ではないし、その再現でもけっしてない。ポスト・ロック世代のスウィングとは、解放の音楽としてロックしか知らなかった世代が、たましいの自由な発露として、ロック・スピリット以上に音楽に生命感を与える、親の時代からあるスウィングという感覚に目覚めたということなのだ。
今回は、ボクの息子が自己表現の様式としてロック以外にもさまざまな音楽に目覚めてくれることを念じながら、現代性に裏打ちされた新しい感覚のスウィング音楽のアルバムを5点紹介する。
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