フェラ・クティの好敵手の一人が、オーランド・ジュリアスという人物だった。ジュリアスは1960年代の半ばにナイジェリアン・ポップに革新を与えた人物だと言われている。
当時のナイジェリアは「ハイライフ」と呼ばれたカリプソやスパニッシュ・ラテンに影響された音楽から、ソウルやジャズなどのアメリカン・ブラック・ミュージックと交わった音楽へと変わってゆく、その節目にあたっていた。
フェラ・クティの「アフロ・ビート」、そしてオーランド・ジュリアスの「アフロ・ソウル」は、影響を与えたはずの
ジェイムズ・ブラウンら当時のソウルマンにも大きなヒントを与えたとされ、大西洋を挟んだ仲間たちの交流はずいぶん深いものがあったようだ。 それを証明する1曲が『Orlando's Afro Ideas 1969-1972』に集録されている「James Brown Ride On」で、タイトルでわかるように、自分たちナイジェリア人がいかにJB師を尊敬しているかを歌っている。このリズムはフェラなどとも共通する「アフロ+ファンク」というスタイルだが、当時の
ジェイムズ・ブラウンよりもずっと泥臭く聞こえる。おそらくこれはスタジオなどバンド環境の問題だろう。オーランドのサックスを筆頭としたホーンズやボーカルは、なかなかのウネリである。
JBらアメリカ黒人と異なるのは、ボーカルにゴスペル的なコブシ回しがほとんどないことで、欧米の歌い方に馴れた耳からすればヘタっぽく、一面ぶっきらぼうに映るが、それこそがアフリカ的な味なのである。
ちなみに
ジェイムズ・ブラウンは60年代にレゴスを訪れジュリアスと交流し、それがブラウンの名曲の一つ「I GOT YOU (I FEEL GOOD)」につながった。反対にフェラは、ブラウンがフェラのアフロ・ビートを盗もうとしているとずいぶん懐疑的だったという。
アルバム『Orlando's Afro Ideas 1969-1972』は、ジュリアスの人気を決定づけた『SUPER AFRO SOUL / ORLANDO JULIUS & HIS MODERN ACES』(66年)のあと、彼がどのような活動をしていたかを伝える復刻盤である。彼は60年代末からアメリカに行き来し、74年には永住するから、外見からは彼がどのようなミュージシャンであったかその流れが見えづらかった。一方の
フェラ・クティはどんどんアルバムを出し始め、大旋風を巻き起こす時期だからなおさらである。
フェラの70年代初頭のアルバム…たとえば『オープン・アンド・クローズ/アフロディスィアック』(写真)は、同時期の『Orlando's Afro Ideas』と比べると、オーケストラと言ってもいいほどの大編成で、おそろしくシャープな演奏である。おそらくこれほどの洗練を備えたバンドは、
フェラ・クティ&アフリカ70以外、アフリカ大陸にはいなかったろう。音楽の世界が、デカい。さすがの
ジェイムズ・ブラウンも、フェラと間近に接して度肝を抜かれたことだろう。
一方のジュリアスの一行は「フェラと比べると」、まさしくローカル・バンドである。だが味わいでは負けてはいない。彼の代表的1作「Alo Mi Alo」の、ねっとりとしたビート感、そしてその中から顔を出すジュリアスのサックス・ソロの見事なこと。アメリカの黒人たちがやろうと思っても出来なかったスタイルがここにある。
ナイジェリア音楽が一番に燃え上がったという70年代前半、その筆頭であったフェラやオーランド・ジュリアスらを聴き比べると、いくつもの発見があるのだ。
(藤田正)
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