<1999年10月>
この十二月、
小沢昭一による「ドキュメント 日本の
放浪芸がCDで復刻されることになった。まことにもってめでたい。
小沢さんの「
放浪芸」シリーズは、今から三十年近くも前の一九七一年に一の巻『日本の
放浪芸』が出て、そのあと『又日本の
放浪芸』』また又日本の
放浪芸』、そして『まいど…日本の
放浪芸』と続いた(同系列のヴィデオも発売されたことがある)。このシリーズは学問・調査としてのレベルの高さに留まらず、一般の人たちにも日本の芸能の根幹に興味を持たせたという点でも画期的な企画だった。
個人的なことになるが、『私のための芸能野史』『私は河原乞食・考』などの関連書籍もふくめて、当時、洋楽一辺倒だったぼくに、日本の芸能の素晴らしさ、大衆芸能の世界的な共通点を知る貴重な示唆を与えてくれた。
また、滅亡寸前といわれた猿回しなど路上の芸を再興するきっかけをうながした一人も小沢さんであり、このシリーズだったはずである。
シリーズ『日本の
放浪芸』が際立って魅力的なのは、第一に芸能なるものを相当に広くとらえている点である。万歳ほかの色々な門付け芸はもちろんのこと、露天商の口上、見世物小屋のドキュメント、お坊さんの説教、そして『まいど…』の巻では現代の
放浪芸としてストリップ(一条さゆり、桐かおるほか)を登場させる。芸能、特に小沢さんにとって最大の関心ごとであるお金と交換する「職業としての芸」のもろもろを、丸ごと詰め込もうとした「欲ばり精神」は、その諸芸の多くが姿を消した今、なおのこと貴重となった。
対象に迫る構成がまたいい。氏の抜群の語り・解説が、ぼくら聞き手と、対象となった音だけでは十全には伝わりえない芸の間を、上手に取り持ってくれる。ルーツを探る研究肌の企画でありつつも、シリーズ自体が優れた芸能となっているのである
俳優である小沢さんにとって、このシリーズがプロの芸能者としての自己検証の旅でもあったことはよく知られている。小沢さんが職業芸能の先輩たちを見つめ、学び、自らも実践してみるという姿勢は、その現場の雰囲気までも取り込んだ生々しい音像にも反映している。
だが、そんな人であっても、録音取材は気楽なものばかりではなかったようだ。ご存知のように芸能には根深く陰湿な差別が密接に関わりあっている。「
放浪芸」と言えばロマンチックな響きを漂わせもするが、かつての担い手たちは、誰もが好き好んでその芸を習得しようとしたわけではなかった。
汚い、乞食芸、下品、怪しい奴らと、ののしられ、足蹴にされながら、それでも舞い踊り、言葉を発し続けたのが彼らであった。小沢さんは、もはや現役を引退したような古老から、たとえば鳥取の大黒舞などでは「(この舞いを知る)お婆さんも昔そういうことをやっていたことには触れられたくない、大黒舞いを歌って聞かせるなどとんでもない」と断わられている。
お婆さんの気持ちとしては無理もない話であり、そしてこのような無数の人たちの、差別と共にあった歴史的な芸の積み重ねこそが、日本芸能の土台をなしたのである。
CDシリーズ『ドキュメント 日本の
放浪芸』は、一の巻が万歳やゴゼさん、阿呆陀羅 経などの路上の芸、二の巻「又日本の…」がテキヤさんたちと演歌師たちにスポットが。「また又…」では、語り物の原点、節談 説教である。「まいど…」はストリップ。
大きな話題を呼んだ一の巻が一万四千円とけっこう値の張るシリーズだが、懐 に余裕のある方はぜひ。
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