若い人にも悩みがあるように、大人にも解けない問いがある。スティーヴィの『タイム・トゥ・ラヴ』の、1曲1曲を追いかけてゆくと、風格あるどっしりとした歌のたたずまいの裏側から、ある時は怒号が聞こえたり、また別の場面では誰かがコブシで壁を殴りつけているかのような、「別の音」が見えてくるのである。
スティーヴィは今年(2005年)の5月で55歳になった。まだ年老いてはいないが、彼は少年の頃からずっとアメリカン・ポップの頂点で活躍し、えらく寡作だ、唯我独尊だと言われながらも、未だに「トップな人」であり続ける。そんな、一般通念からすれば立派な存在が、やっぱり性のもつれには少なからずの関心を寄せ、アタマに来た時には、このアホ!、ぐらいは言うようなナマな人間であることを、歌に滲ませるのである。
サウンドの表面は、滑らかで、仕上がりは常にポップ……だけれども、その歌の楽譜の裏っ側には、書き殴りとも言えそうなメモや、赤い線のひっかきが数多く残されている、という感じだ。そしてこの対比が透けて見えた時、アルバム『タイム・トゥ・ラヴ』の印象はガラリと変わるのである。
つまり、この超大物ですら、「ラヴ」という一言に問題の解決を委ねてしまわねばならないほど、未解決なもの、難問に取り巻かれている。
そのザラザラした心のあり方、気持ちのイラ立ちが、直線的に耳を襲うのではなく、二度三度と聞き馴染むに従い、陰影を増してゆく……このあたりが、アルバムの、そしてスティーヴィ55歳の、大人の部分だと思うのである。
10年数ヶ月ぶりという新作である。スタジオ録音としては『カンヴァセーション・ピース』以来なのだが、あまりにも時間が空きすぎて、なんだか拍子抜けである。でもスティーヴィにとっては、歌をディスクにきちんと着床させるためには10年だろうが100年だろうが関係がない。
それはアルバムの音作りにもはっきりと出ている。
「今の音」におもねったところがないのだ。むしろスティーヴィは、彼が恐ろしいほどの勢いを持った70年代の音作りを起点とした、いわば「スティーヴィ節」を、とことん追求しているのがこのアルバムの特色の一つである。音の流れ、その肌触りからすれば、『タイム・トゥ・ラヴ』は時代を超えている。
そしてこの、ああスティーヴィだ、と我々の耳をしみじみとさせてから、現代のアメリカに生きる一人の才能ある男性、
スティービー・ワンダーの怒りが、悩みが、喜びが少しずつ滲み出てるのだった。
1曲目「If Your Love Cannot Be Moved」からして、ズンと重い。題名はおそらく、揺るぎない信仰心をテーマとした古いゴスペル(I Shall Not Be Moved)にイメージを重ねているのだろうが、これは
ブッシュ現大統領を徹底的に批判した歌なのである。スティーヴィは、あんたの「愛」って何なのさ、と問う。彼はイラク戦争などに見る
ブッシュの人間性そのものに激しい疑問を投げかける。ちなみに、この10月、同大統領の支持率は黒人層においては2%という極端に低い数値を示したが(NBCテレビとウォールストリート・ジャーナル紙の調査による)、スティーヴィの怒りはアメリカン・ブラックの怒りそのものでもある。大統領に向けての彼の<ひとでなしの歌>は、ハード・コア・ラップよりも凄い。
だがスティーヴィは、怒りこそすれ、シニカルでも白けてもいない。だからこそ、この新作アルバムの中で「愛」を、歌のテーマを刻々と替えながらも自問自答を繰り返す。例えば、かつての妻であり、その後もアーティストとしての彼を支え続けたシリータに捧げられた「Shelter In The Rain」にしても、ガンに蝕まれた彼女のか細い命に向かって、精魂込めて「愛」を捧げる。悲痛なほどに献身の歌だ。
では、なぜこの世界に「愛」が必要と、彼は歌わざるを得ないのか?
『タイム・トゥ・ラヴ』は、甘く柔らかい音像に包まれながらも、ある意味、哲学的な思考を求められるアルバムなのかも知れない。プリンスや
ポール・マッカートニー、インディア.アリーが参加…といったことは、このアルバムにとって小さな事件でしかない。
(初出『ramblin'』2005-10-25作成)
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『タイム・トゥ・ラヴ/スティーヴィ・ワンダー』