長く沖縄大衆音楽の象徴として愛された名人中の名人。1920年、越来村(ごえくそん)(現・沖縄市)に生まれる。小さい頃から三線に親しむ。19歳で徴兵され、その後、サイパンほかの南洋諸島、本土を渡り歩き、ようやく49年に帰郷する。山里ゆき子(現・山里ユキ)との「嘆きの梅」でヒットを出し60年代初頭からいよいよ評価が高まり、竹中労が本土に紹介するやその名は沖縄音楽の代名詞ともなった。LP、CD多数。その仙人のような風貌は『ウンタマギルー』ほか多くの沖縄映画にも登場した。琉球民謡協会名誉会長であった99年、79歳で亡くなる。現在は、息子の林次がその遺志を継いで活躍中。
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