ルポライター、プロデューサー。沖縄大衆歌謡の素晴らしさを、本土のみならず沖縄にも知らしめ、ブームにまで仕立てた画期的なヤマトゥーンチュ。15歳で戦犯教師を追放するために甲府中学全校ストライキを指揮するなど、若い頃からその豪腕ぶりを発揮、死の直前まで世界の抑圧された民衆の解放のために様々な活動を行なった。東京生まれ。1930(28?)〜91。日本の芸能には特に造詣が深く、被抑圧者としての美空ひばりの評価、ビートルズ来日の暗部など、現在まで語り継がれるルポ・論考は多い。69年、岡林信康らアンダーグラウンド・フォークのレコードを担いで沖縄へ。73年の「琉球情歌行/嘉手苅林昌独演会」を手始めに、翌年「琉球フェスティバル74」を開催し(75年の春と夏にも)、嘉手苅林昌、糸数カメ、照屋林助、登川誠仁、山里勇吉、里国隆ら多くの才人を本土に紹介した。同時期、ビクターほかメジャー各社に貴重なレコーディングも行なう。そのエネルギシュな行動が各方面に波紋を与えた、沖縄音楽の戦後の歴史に足跡を遺す一人。