特に、ボーカリストとしてmisiaが一つ異なるステップへ上った2000年秋の大ヒット「Everything」は、教会のステンドグラス風デザインをバックに、彼女の声の特質を存分にナマで堪能することができた。
完璧だった、のではない。見事なほどに緊張感を持続させたのち、彼女は声を伸ばし過ぎたのだろうか、ラスト近くで、一瞬だけ「ビリッ」という厚紙を裂いたような声に変わったのは、鳥肌が立つほどのスリルだった。
ナミの歌手が「外した」のではない。小さい体の豪速球投手は、それゆえに、どこかに傷を、ケガを負う可能性を秘める。薄氷を踏みながら歌を「うたえる」
MISIAだからこその、緊迫感。2001年1月27日、横浜アリーナの大観衆は、これを味わったことになる。
「THE TOUR OF
MISIA 2001」。
MISIAを盛り立てたバックは、コーラス(3)、サックス&フルート(1)、キーボード(2)、ギター(1)、ベース(1)、ドラム(1)、パーカッション(1)、ターンテーブル(1)、ダンサー(8)である。
コーラス、キーボード、ドラム、ベースという基本部分のメンバーが山下達郎バンドと同じということも背景にあるのだろう、舞台での彼女の音楽性は、「
MISIA=ソウル・ディーバ」というイメージよりも、(たしかにブラックではあるけれども)達郎や細野晴臣やユーミンなど彼女よりもずっと上の世代が開発した、ブラック・オリエンティッドな80年代以降のジャパン・ポップの王道をそれほど外れるものではなかった。