現代版組踊「大航海レキオス」(3):アカハチ? マムヤとは?
M&I Company
 
文・藤田正
「大航海レキオス」のキャスト紹介には、筆頭の「航太/アカインコ」の次に「アカハチ」と「マムヤ」という役名が並んでいる。沖縄公演ではアカハチ役を嘉手納良智が、マムヤ役は伊是名千絵がつとめた。ともに若い人だった。
 アカハチは八重山の、マムヤは宮古の人である。アカインコ(赤犬子)が沖縄本島を流浪した三線の神であるなら、この男女とは何者なのだろうか。今回は、彼らが琉球の歴史の中に(あるいは伝説の中に)どのように登場するかに触れてみよう。  

 まずはアカハチ、すなわち史書にいう「オヤケアカハチ」だが、この男は波照間島に生まれ石垣島は大浜を拠点とした八重山の豪族だった。
 彼の存在は琉球史において欠かすことができない。というのも、アカハチは琉球国中山王・尚真(ちゅうざんおう・しょうしん)が石垣島へ送り込んだ軍勢に敗北し、これが契機となって宮古、八重山が琉球王府の支配下に組み入れられたからである。一般にいう「オヤケアカハチの乱」(1500年)がそれで、この勢いに乗って琉球国配下の軍勢は1522年、遠く与那国までも制圧、同島の支配者、鬼虎(うにとら)を倒した。
 尚真王はアカハチを「征伐」したことで先島地域の安定を獲得し、さらに各地域の豪族を首里に集め、それぞれの位階を定め、武器の放棄を命じ(刀狩)、といった政策を次々と敢行し中央集権国家・琉球の土台を築き上げたのである。
 首里王府からすれば、オヤケアカハチは、最後の大きな邪魔者、反逆の徒だった。
 だがアカハチや、アカハチを支持した人々からすれば、どうであったのか。「大航海レキオス」は、この視点を抜きにして語ることはできないだろう。
 いっぽう、琉球にかしずくことを拒み、滅びへの道を歩んだアカハチたちとは正反対の選択をしたのが、宮古島に勢力を持つ仲宗根豊見親(なかそねとゆみや)だった。仲宗根豊見親は宮古が琉球王国に従属する道を選び、彼の一門はオヤケアカハチや、与那国の伝説の女王サンアイ・イソバ、そして鬼虎らを制圧するための先陣となったのである。
 いわゆる勝ち組、征服者の側に付いた者には、いくつも歌が残されることになる。たとえば宮古島には、仲宗根豊見親の功績を称え彼の名前が付けたアヤグ(宮古の伝承歌)が今も数種も残っている。宮古の主長である豊見親(名高き人、の意味)がいかに島を豊かにしてくれたか、の物語、アヤグ。中には、初めて琉球の国王へ「定納品」を持って上がるその時の喜びをテーマとしたアヤグもある。八重山へ鬼虎を鎮圧した時の旅のアヤグもある。
 これが歴史ある歌の、特色の一つである。歌はいいメロディだから、いい歌詞だから必ず残るものではない。意図的に、政治的に作られ、残される歌も多い。反対にオヤケアカハチはいかに勇敢に首里に刃向かったか、などという(直接的な)歌は、作れるはずもなく、仮に誰かが歌ったとしても一瞬の内に闇へ沈んで行く。
 さて、では果たして仲宗根豊見親の選択による宮古島の、その後の歴史的道のりは正しかったのだろうか? 琉球王国の一部となることによって、その後の宮古、八重山の民が徹底的に搾取されたことは、沖縄の歴史をひも解けば、すぐにでも分かる。一説に税率80%強という過酷な「人頭税(にんとうぜい)」が宮古、八重山に課せられたのが1637年のこと。これが廃止されるのは1902年。無数の悲劇が、先島(さきしま)に襲いかかり、その絶望の文化が歌を生み出した。あるいは、その苦悩の人生においてすら、人間らしい光を求めんとする歌が生まれた。元歌としての「安里屋ユンタ」(竹富島)、「どなん(与那国)スンカニ」「与那国ぬ猫小(まやーぐわー)」などの名曲の背景には琉球が敷いた凄まじい圧政が存在する(その琉球本体にしても、1609年以後、薩摩にせいぜいい搾取されていたのだが=慶長の役)。
 
 マムヤも、宮古、八重山の歴史に揺さぶられた女性だったようだ。
 宮古には「平安名(ぴゃうな)ぬマムヤ」「平安名ぬマムリャが あーぐ」という彼女の名前をつけた伝承歌がある。かつて平安名村にいたという美女、マムヤが、地域の長(按司=あじ)に見初められ、本気になる。ところがこの野城(ぬぐすく)の按司は家庭持ちであり、マムヤに惚れたといっても結局はただの遊びにしか過ぎなかった。それがわかったマムヤは、断崖から身を投げる。マムヤの親は歌う、
「手かごの飯や汁おけに、副食を用意して、磯の続く限り、浜の限りに捜してみても、マムリャは、ああ我が子は見つからない」(歌・上田長福/訳=城辺町)
 マムヤなる女性が、本当はいつの時代を生きた人であったのかは私にはわからないが、宮古歌謡の最長老、上田長福によって少なくとも「平安名ぬマムリャが あーぐ」が今に歌い継がれたということは、「安里屋ユンタ」や「どなんスンカニ」と同じように、一握りの役人、支配層によって自分の人生を決定づけられてしまう人頭税時代の(特に)女性たちの思いを通過した歌であるということだ。 
 一般民衆、マムヤ。その意味するところは、奴隷と変わらぬ生活を余儀なくされた女性だったということである。彼女が支配者に遊ばれ、身を隠した(死んだ?)ことは、どの島にも起こっていた。先の与那国の鬼虎の娘も、戦いが終わり、仲宗根豊見親の嫡子から嫁にしてやるからと宮古島へ連れて来られたものの、実際には嫡子には妻がいて、娘に待っていたのは厳しい下仕えだった。そして彼女は故郷を思って死んでゆく(…という宮古の歌が残っている)。
「大航海レキオ」に登場する可愛らしいマムヤは、実は島の女性史のカナメを代表しているとも、言えるだろう。
 反逆のアカハチ、歌の神としてのアカインコ、そしてマムヤ。
 3人が揃って旅に出るのは、琉球〜沖縄史の原点を問い直すことでもある。
(写真は「大航海レキオス」の舞台から)               (つづく)


「大航海レキオス」東京公演スケジュール:
http://www.mandicompany.co.jp/hp2005/live/requios/requios_05.html
amazon.co.jp-『近世琉球の租税制度と人頭税』(国際大学南島文化研究所・編集)

( 2005/05/26 )

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