----こういう沖縄と海兵隊の子どもたちとの関係は、あんまり知られていませんね。
だから私は、ずっと沖縄に行きたいと思ってました。お父さんも沖縄が大好きだから、家族を連れて行きたかったみたい。お父さんが昇進で沖縄へ配属になった時、それは私が16歳の時(1985年)ですけど、初めて沖縄へ来ました。
----それからアメリカと沖縄を行ったり来たり。
久場崎のハイスクールを卒業してから、アメリカの大学へ行って。でもその頃は、
沖縄ブームの前だから、三線は見かけることはなかった。なかなか教えてもらえなかったし。昔の武道とかもそうでしょ。親戚とか近い関係の人にしか、(極意は)教えない。
沖縄では「
歌三線」と言うよね。沖縄の音楽をやれば、文化も言葉も一緒に習えて、そしてそれを次の人たちに残すことができる。だから三線が弾きたかった。
大学1年終わってからまた沖縄へ戻ってきて。三線を習い始めたのは89年からです。
アメリカへ帰っても
工工四(くんくんしー)が読めるようになったから、自分で弾いて練習していました。ワシントンDCの県人会の人たちに三線の先生をしたこともあります。
----オレゴン州立大学にいた時は、日本語の論文も書いたとか(2000年に、同大学の経済学部及び人類学部大学院を卒業)。
「日本の教育システムが沖縄の人に与えるマイナスの影響」というのがテーマです。