ピアノの英才教育からヒップホップまで。
ロベルト・フォンセーカの経歴を見ると、いかにも現代のキューバン・プレイヤーという印象である。
1975年、ハバナに生まれ、幼少の頃から打楽器を手にする。ピアノは8歳から。そして十代になってキューバの国立音楽学院「ラ・エナ」、I.S.A.(芸術高等学院)で学ぶ……というキャリアを経て、本格的なプロとなった。99年には、「クバディスコ99」で「ベスト・ジャズ賞」を受賞(バンド、テンペラメントとして)。2000年には、オブセシオーンというヒップホップ・グループのプログラミングやプロデュースも手がける。
つまり、アメリカ音楽の動向に着目しつつ、キューバ黒人音楽のルーツにも精通する。
まだ二十代半ばのフォンセーカは、その典型といえるだろう。
日本におけるデビュー盤となる今回の『ノー・リミット』も、アフロ・ビートをバックにしたピアニストとしての彼の力量を伝えることに主眼が置かれてはいるが、中に「デ・ケ・バーレ」といった異色の作品も聞くことができる。
「デ・ケ・バーレ」は切ないタッチのボレーロで始まる。
ボーカルは彼の母親が担当している。しかし曲は途中から一転してドラムン・ベースのビートに変わるのである。コラージュ的に日本語が混ざるろところなど、
ミッシー・エリオットみたかったりする。
1曲目「イェマヤ」の、
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブがかったオールド・スタイルから、エネルギッシュなキューバン・ルンバと流れる曲構成の中で、6曲目にあたるこの「デ・ケ・バーレ」は、誰でも驚くはずだ。
だがフォンセーカのプレイ、プロデューシングは、このような「突飛」なアレンジであっても、とても端正なのである。目配りが効き、よくバランスが取れている。高度な技術を危なげなく、サラリと弾きこなす。最初は打ち込みに耳を奪われても、結局は彼の破綻のないピアノに着目してしまう。
彼が次代をになう若手ピアニストの一人とされるのは、こういうところによく出ているはずである。
鍵盤を離れ、路上でポーズを決める姿はまるで
R・ケリーの弟分のよう。
来日をきっかけに、新しいキューバのスタイリストとして人気が出ると面白い。
(2001年8月22日発売)。