「トランスジェンダー」を、著者である三橋順子は「性別越境」のことだと説明している。でも…「性別越境」って何だ?
それは生まれがオトコであるはずの人物が、服装を代え、言葉遣いを違えオンナになること。フェイク・オンナのことだ。その逆の、オンナからフェイクなオトコへという性の越境もある。三橋順子も女装するオトコで、かつトランスジェンダーの歴史を研究する大学の先生であった。
このホンモノの「フェイクな性の専門家」が語る日本文化史、あるいは日本人論は説得力のあるものだった。
歌舞伎、宝塚歌劇団、演歌(女心を男が切々と歌い上げる)、あるいは最近のテレビに溢れんばかりに登場しているゲイや女装者たち…これらチマタのエンターテイメントを挙げるだけでも、日本人は「性の越境」について、キリスト教文化圏よりははるかに寛容である。順子先生は、それは神話時代からめんめんと続く日本人の特性なのだと主張する。
たしかにぼくも何気に不思議に感じていたことはたくさんあった。
かつての武家社会において男色は変態行為ではなかったし、坊さんたちがキュートな稚児を引き連れて夜な夜なたっぷりと可愛がっていたことは、いろんな書物や絵巻物に印されている。こういったもろもろの歴史的事実を、女装者として、現代に至るまでの文化の流れとして捉えなおしたのが『女装と日本人』である。
ヤマトタケルが女装して熊襲(くまそ)をやっつけた…これもそうだ、と先生は語る。中でもクマソタケル兄弟の弟が剣を尻に突き刺されて殺されたという有名な神話があるけれども、順子先生からすれば、この殺し方はクマソの兄に色仕掛けで迫った女装のヤマト君がクマソ兄にもてあそばれたがゆえの、象徴的な仕返しだった…ふ〜む。お尻の穴から剣を突き刺すんだから、さ。この本書オープニングに置かれた神話解釈によって、俄然、ぼくは勢いづいたのだった。
坊さんと、稚児灌頂(ちごかんじょう)という儀式を得た少年とのセックス、その技法。これも歴史的だ。武士社会であればお侍と「稚児小姓」の関係。信長ほか、これもたくさんの例があります。
歌舞伎においては、その発端である阿国
歌舞伎から遊女
歌舞伎、若衆
歌舞伎、そして(成年男子による)野郎
歌舞伎に至るまで、すべてに性の越境があったと先生は語る。一般的には、若衆
歌舞伎があまりにも人気が出てきて、だから禁制となり野郎
歌舞伎へ…という経緯があったと解説されているが、それは違うと断言する順子先生の指摘は勉強になった。
歌舞伎のどの時代にもトランスジェンダーはあり、そこから表われ出る「特別な世界」をこそ日本人は大切にしたのだった。納得です。
その「特別な世界」なんだが、この根底にあるのは、西欧にいうホモセクシュアルとしての文化ではない(リンクはしてはいるが)。二つの性を同時に有すること、また相互を行き来することのできる存在は、日本人にとって、あるいはアジアの人たちにとっては、古来より「聖なるもの」だった。聖性、そのパワー。ヤマトタケルの女装がまさにそうなのだろう。そこに女装(あるいは男装)の根本があるはずだと女装のプロは言うのだ。確かに玉三郎の踊りなんかを見て、普通には「オンナ以上にオンナらしい」とは言うが、ぼくは「これはオンナ・オトコの範疇じゃないっしょ」といつも思っていた。別のものなのだ。鈴木春信(浮世絵)なんかのモノセックスな描き方(オトコかオンナか一瞬ではわからない)などの背景にあるものも、先生の指摘によって、少し見えたように思う。
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鈴木春信「五常 義」(ベル ギー王立美術歴史博物館)女 の子二人に見えるが「義」と は男同士の友情を指す。 |
もちろん、本来はオトコ像であるはずの仏像が、ときにオンナ像、あるいは少年像に限りなく近づくその理由も(通説とは別に)わかったようも思いました。
ただ坊さんの稚児灌頂の儀式の解釈には、別の見方もあるように思う。
稚児灌頂の儀式を経てめでたく「童(わらわ)」から「稚児」へと格上げされた少年は、観世音菩薩(観音菩薩)の化身となったとみなされる。その化身となるための最後の儀式が、坊さんとのアナル・セックスなんだってさ。これって、性的快楽の最高の状態の独り占め、ってやつでしょ、ねぇ、お坊さま。どーよ。美少年とやって、気持ちいいですかァ〜、ってんだ。だって生の観音様とやってんだよ。
ぼくは仏教でいう、女と接するのは罪って言いぐさのナンセンスって、あるいは女性
差別って、こういう欺瞞的な儀式に出ていると思います。順子先生は、あくまで女装者としての観点から文章を進めているが、戒律は守らなくてはならない、でもオレ(坊さん)だってセックスした〜い!…の屁理屈として稚児文化が確立された、とも言えないだろうか。
このケガレの意識がまた強いのも我々ジャパニーズであって、武士と小姓の「愛」も、その流れは否定できないだろうと思う。
そこで思い出したのだが…この11月29日から『蘇る玉虫厨子』(乾弘明監督、東京テアトル配給)というドキュメント・フィルムが公開される。この映画は、法隆寺にある国宝・玉虫厨子をこの21世紀に造り直した(二基も)、その製作模様を追った映画なのだが、映画本体の良さ(日本の伝統的技術者の凄さ!)は別として、あの綺麗な玉虫の羽を取るためにどれほどの殺生を繰り返したのか。これも前から疑問だったのだが、殺生を禁ずる仏教ではあるものの、泥水の中から蓮の花が咲くように枯れ木に棲む玉虫も同様である、という屁理屈。だから膨大な数の玉虫を殺して仏像を入れる厨子を、玉虫の羽で飾っていいんだってさ。
凡夫の私も、都合のいい人生を歩んでいるが、大権威としての坊さんたちも歴史的にずいぶん都合のいいことをやってきた。これは被
差別部落民は、前世が問題だったから、というとんでもない意見は誰が吐いたのか。
…と、ちょっと話がズレたけど、そういった屁理屈の上に立った歴史&文化の側面はありつつも、日本人は明治まではトランスジェンダーに寛容であったし、そこに芸能の根幹があった、とすら言えるかもしれないのだ。
明治に入り、日本人は欧米文化に屈することを「歓び」と感じる人種になってしまった。キリスト教の理念がその軸にあり、トランスジェンダーinジャパンの伝統も、変態、異常な性うんぬんと、徹底して貶められ、それがぼくらの常識となった。だが伝統は今も消えない…このようにして本書『女装と日本人』は、後半へと書き進められていくのだった。
(文・藤田正)
映画『蘇る玉虫厨子』
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