アメリカ有数の音楽プロデューサー、
パフィ・コムズSean "Puffy" Combs が何らかのかたちで関与したとされるディスコでの発砲事件(1999年)の公判が続いている。2001年2月7日は、犠牲者の一人であるジュリアス・ジョーンズが出廷、
パフィ・コムズが事件の時に黒いオートマチックを手にしていたと証言した。
ジュリアス・ジョーンズの証言は、2月5日に行なわれた、同じく被害者の一人であるナターニア・リューベンの証言に次ぐもの。リューベンは、自分が顔を撃たれる直前に、
パフィ・コムズSean "Puffy" Combsと、ラッパーの
シャインJamal "Shyne" Barrowが銃を抜き発砲するのを見たと証言していた。今回の証言は、
パフィ・コムズが発砲したかどうかは分からないとしながらも、彼が銃を手にしていたこと、
シャインが発砲したことを認めた。ジュリアス・リューベンは、この事件で肩を撃たれた。
コムズ側からは、事件が起こる前にリューベンがマリワナを吸い酒も飲んでいたのではないかと反対尋問がなされたが、彼はそれらの効用は事件が起きる頃にはなくなっていたと語った。