巨大なハリケーン「
カトリーナ」が、カリブ海諸国を、アメリカの南部を襲い、甚大な被害を各地域に与えました。多くの人命が失われ、たくさんの財産も水に流されました。
「歴史」も危機に瀕しています。私たちにとっても無縁ではない音楽の歴史も、その中の大切な一つです。
ジャズ、ブルース、ザディコ、R&B、カリビアン・ミュージック…我々が毎日享受しているあの地域の音楽たち、その担い手たちは、これからどうなるのだろうか。
その象徴的な町、
ニューオーリンズは?
「Sing Again!, New Orleans」(
ニューオーリンズ音楽救済基金)を、立ち上げたのはこういう理由からです。
私たちは、河村要助さん(イラストレーター)、
Sho Kikuchi(カメラマン)さん、60HMR、「
城北・東人権フェスティバル」(大阪市)ほかの協力を得て、まずチャリティ用のTシャツを作ることにしました。ここから、少しずつ歩を進めてゆきます。
集められた浄財は、現地の音楽評論家であり被災者でもある岸本裕見子さんに助言を仰ぎながら、地域で最も困難に直面している音楽関係者・団体へ届けることになります。
音楽ファンのみなさんの、ご協力をお願いします。 (2005年11月)
藤田正(評論家、Beats21編集代表)
上田康平(市民グループ「沖縄の風」)
津本ひふみ
なお、Tシャツの詳細については、ページ末の60MHRのサイトをご覧下さい。
11月12日(2005年)には、この基金として初めての企画展が大阪「
城北・東人権フェスティバル」で開かれます。
以下は、
ニューオーリンズ在住・岸本裕見子さんからのメッセージです。
*
あのハリケーンが去って…音楽の都、
ニューオーリンズからのメッセージ
玄関先のポーチにはずむ人々の笑い声。歌うように会話を交わす若者たち。かけてゆく子供たちの軽快な足音。ふと、どこからともなく風にのってブラス・バンドのうねるようなリズムが聞こえてくると、みんな何もかも投げ出してセカンド・ラインに飛び込んでしまいます。夫婦喧嘩は中断、パジャマを着ていてもお構いナシ、食事中でも食べかけのお皿を持ち出してステップを踏む…。
ニューオーリンズのいつもの景色。ここにジャズが生まれ、育まれてきました。ずっと昔から変わることのないコミュニティーは、ユニークな文化・慣習の温床でした。しかし、今年8月のハリケーン・
カトリーナが去ったのち、すべてが消えてしまいました。笑い声も泣き声も、子供たちの歌う童謡も、もちろんブラス・バンドの音も聞こえません。夜になると電気の通らない地域には暗闇だけが残されます。
コミュニティーの住民もそうですが、日本の私たちにかの地の音楽を届けてくれたミュージシャンたちも、避難のため米国中にちりちりばらばらになってしまいました。家は冠水して何も残っていません。帰るところも、仕事もありません。演奏する楽器さえ無くした人もいます。それでも彼らは言います「いつかみんなで故郷に戻り、またセカンド・ラインをやるんだ!」。それが実現したときは
ニューオーリンズが生き返ったとき。きっと近い将来そうなると私は信じています。
(2005年10月27日)
注:セカンド・ライン=ストリートを行くブラス・バンドの後から踊りながらついてゆく一団、またはその音楽のリズム。もともとはブラスバンドを伴った葬儀(ジャズ・フューネラル)のパレードで、棺を送り出す遺族(ファースト・ライン)のあとについていた参列者のことをセカンド・ラインと呼んだ。
60HMR(ろくまるえいちえむあーる)
http://www.rrm.co.jp/60hmr/