現代沖縄民謡の父ともいうべき存在。越来村(ごえくそん)(現・沖縄市)時代は、三線の名手、名歌手として知られたが、一家を支えるために大阪へ出稼ぎに。当地で画期的なインディーズ、マルフク・レコードを設立(1927年)した。そのため別名「チコンキー・フクバル(蓄音機の普久原)」とも呼ばれ、マルフクから発売されたレコードは朝喜の名作も含め、後進の手本となった。普久原鉄子、普久原京子とのデュエットも有名。事業家であったたこともあり、自作品の数こそ少ないものの、多くが名品として歌い継がれる。1903〜81。