フアネス(ラテン)
■Juanes
ユニバーサル
 1972年8月9日、メデジン(Medellin・コロンビア)生まれのギタリスト・シンガーソングライター。フアネス(Juanes)という名は、本名「フアン・エステバン・アリスティサバル・バスケス(Juan Esteban Aristizabal Vasquez)」を縮めたニックネーム。音楽に興味を持ち始めたのは7歳の時。父親と兄からギターの弾き方を習い始める。フアネスの音楽への情熱はコロンビア伝統音楽(バジェナート&グアスカ)に止まらず、ボレロ、タンゴ、ランチェラ、クンビアを吸収していく。 玉手箱のように様々な音楽の影響を垣間見せてくれるフアネスだが、彼は決して幸せな子供時代を過ごした訳ではではない。従兄弟は誘拐犯に殺害、親友は暴漢に銃殺、父親を癌で亡くしている。ただ単純に明るいだけではないフアネスの音楽に時折顔を見せる「悲しみ」の原点とも言えるだろう。

 メタリカに影響を受けたフアネスは15歳の時にメタルバンド"Ekhimosis"(エキモシス)を結成し音楽活動を開始。小さなクラブを中心に活動を続け、16歳の時に初レコーディング。11年間で7枚のアルバムを発表。これに満足せずソロで活動を続けることを決意。母国コロンビアを離れ渡米、ロサンゼルスへ活動の本拠を移す。Universalと契約したフアネスは、ラテン・ロック界の切れ者、グスタボ・サンタオラージャ(Gustavo Santaolalla)をプロデューサー、そしてエンリケ・イグレシアスを世界的スターに押し上げたフェルナン・マルチネスをマネージャーに迎え、国際的スターの階段を昇り始める。
 
 2000年にソロとしてのファースト・アルバム、"Fijate Bien"(フィハテ・ビエン)をリリース。アルバムのヒットにより、彼は3つのグラミー・ラテン賞を受賞。2002年に発表したセカンド・アルバム"Un Dia Normal"(ウン・ディア・ノルマル)はラテン・ポップ全体の価値観を変えるほど大きなヒットとなる。リリースから2年に亘りビルボード・ラテン・チャートにランク・インし、なんとトップ10には92週間エントリーするという新記録も打ち立てた。アルバム・セールスは当然のごとくスペイン語ポップCDの世界トップ販売を達成。更には5つのグラミー・ラテン賞を受賞。"Un Dia Normal"がアルバム最優秀賞およびディスク最優秀賞に選ばれた他、収録曲の「Es Por Ti」がシングル最優秀賞、「Mala Gente」がロック部門シングル最優秀賞、またソロとしてのJuanes自身がロックアーチスト(ソロ)最優秀賞を受賞。この成功によってフアネスを世界的スーパースターの座へと一気に駆け上がった。2004年、待望のサード・アルバム、"Mi Sangre"(ミ・サングレ)を発表。シングル、「La Camisa Negra」はドイツ、イタリアなどヨーロッパ諸国で大ヒット。国際的なフェスティヴァル、イベントでのパフォーマンスのオファーが殺到する。
 
 スペイン語で世界を魅了するフアネスは自然体で2006年2月21日、ワールドワイド・デビュー。日本では6月遂にセンセーショナルなデビューを飾った。そして、11月待望の日本公演が決定!早くも4度目の来日となる。
(ユニバーサル・ミュージックのプレス・シートから)

( 2006/09/26 )

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