バレンボイムの気が変わったのは、コンサート当日前の水曜日にエルサレムで開かれた報道会議の場だった。
この会議場で彼はワーグナーの着信メロディを使った携帯電話が鳴っているのを聞き「携帯電話で耳にすることができるのに、コンサート会場で演奏できない理由はあるのか?」と考えるようになった、という。
彼はこの決定の責任は自分自身だけにあり、オーケストラやイベントの責任者に及ぶものではないとしている。
バレンボイムの行動に対して、エルサレム市長であるエフド・オルマートは、厚かましく、傲慢、野蛮、かつ鈍感な行為だと批難している。
イスラエルにおけるワーグナー作品演奏の問題は、これが初めてではなく、2000年にはホロコーストの体験者である指揮者(Mendi Rodan)がIsraeli Rishon Letzionオーケストラを率いてワーグナーの作品を演奏している(「Siegried Idyll」)。
しかしこれは、国家的な行事ではなかったという理由もあり、今回ほどには議論を呼ばなかった。
1981年にはズービン・メータ指揮によるイスラエル交響楽団が「トリスタンとイゾルデ」の曲を演奏しようとした直前、ホロコーストの生き残りの男性が舞台に立ち、ナチによって加えられた傷跡を見せるという示威行動に出たため、演奏を中止するという事件もあった。