この9月に秀作『ゲーム・セオリー』をリリースし、絶好調のヒップホップ・バンド、
ザ・ルーツが年明けにやってくる。
ラップの世界に「生音主義」を持ち込み、小気味良いエイト・ビートをバックにした多彩なサウンドで人気の彼ら、徹底してライブにこだわることでも知られている。過去の来日でも、その見事なパフォーマンスは証明済みだ。
今回は、憧れだったデフ・ジャムへ移籍してから初めての来日となる。
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The Roots 東京公演
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87年頃、フィラデルフィアの高校で出会ったブラック・ソートとクエストラヴがストリートでパフォーマンスを始め、やがてハブとマリークBがグループに加わり、この頃から、地元のクラブで演奏をするようになる。
ザ・ルーツの名はNY及びフィラデルフィアで次第に高まっていき、93年にはインディーのレメディ・レコードからファースト・アルバム『Organix』をリリース。この頃には音楽業界から様々なオファーを受けるようになり、93年ゲフィン傘下のDGCと契約。彼らのメジャー・デビュー盤『ドゥ・ユー・ウォント・モア?!!!??!!』は2年後の95年にリリースされ、全米アルバム・チャート104位。このアルバムは全くの生音にこだわって制作されており、サンプリングは一切使用されなかった。
その後、精力的にライヴ活動を続け、海外公演も行う中で、ゲストとして参加したラゼール、ケイマルの2人をバンドは正式にメンバーに迎えた。翌96年発表したセカンド・アルバム『イラデルフ・ハーフタイム』は全米アルバム・チャート21位まで上昇と順調に成功を収め、99年発売のメジャー・サード・アルバム『シングズ・フォール・アパート』は、全米アルバム・チャート初登場4位、セールス的にも100万枚を越えるヒットとなり、遂に、彼らの時代の先を行くセンスと音楽性の高さが広く認められることとなった。直後に発売した初のライヴ・アルバム『
ザ・ルーツ・カム・アライヴ』では、彼らが「オレたちとツアーの関係は、パンとバターみたいなもんだ。」と語っているようにクオリティの高さで圧倒。
2000年の第42回グラミー賞では、エリカ・バドゥをフィーチャーした名曲「ユー・ガット・ミー」(『シングズ・フォール・アパート』収録)で見事“ベスト・ラップ・パフォーマンス・バイ・ア・デュオorグループ”を獲得。またサントラ『ザ・ベスト・マン』にジャグアー・ライトをフィーチャーした曲「ホワット・ユー・ウォント」がリード・トラックとなった。
2001年にはJAY-Zの『MTVアンプラグド』での全面バック・バンドとして参加、アルバム・ジャケットにも大々的にフィーチャーされ話題となる。同年リリースされたサウンド・トラック『BLADE2』に1曲参加。そして翌2002年11月には待望の新作『フリノロジー』をリリース。“実験的”アルバムとして、内容はロック、デジタル、ノイズなどの要素も取り入れた、まさに確信犯的なものとなり、ジャンルを越えたメディアから様々な評価を受ける。シングル「ブレイク・ユー・オフ」「ザ・シード2.0」などが全世界でブレイク、アルバムもロング・ヒットとなり2003年度のグラミー賞(Best Rap Album)にノミネートされる。『フリノロジー』のリリース後だけでも日本で3度ツアーを行うなど、“365日ツアー・バンド”ぶりも相変わらず健在。
バンドとして活動する一方で、クエストラヴは自身のサイド・プロジェクト=フィラデルフィア・エクスペリメントとしてのアルバムを制作、またJAY‐Z、コモン、ディ・アンジェロ、ジャグアー・ライト、フェミ・クティ、ジル・スコット、ブラッカリシャス他数多くのアーティストへ曲を提供。また、自身もインディ・レーベルから作品をリリースしている。他にも、ラゼールが傑作ソロ・アルバム『メイク・ザ・ミュージック・2000』(99年)をリリース、ダイス・ロウが『リクレイミング・ザ・デッド』(2000年)でソロ・デビュー、さらにブラックソートもソロ・アルバムを制作にとりかかるなど、まさに“
ザ・ルーツ・ブランド“(自身の組織=okayplayer)の層の厚さは計り知れない。2004年に入ってから、MCスクラッチが円満脱退、okayplayerレコーズの立ち上げなど、彼ら周辺の活動も相変わらず慌ただしい。
(ユニバーサル・ミュージックのプレス発表から)