コザ独立国大統領 てるりん伝説
コザ独立国 放送大臣
宮城 秀一
伝説を多く残した人だった。
終戦直後に戦災にうちひがれた各家庭をまわって「
命ぬ
御祝いさびら」と、人々を励ましたこと、『ワタブーショー』で娯楽に飢えた民衆に笑うということを思い出させたことなど、数え上げたらきりがない。
ラジオ、テレビでの取材を通して幾度となく
林助さんに接する機会があったが、その度ごとに、その探究心のすさまじさに圧倒された。いつも身近に辞書を置き、ささいなことでもそれを牽いた。
晩年は、書斎の人だった。万巻の書籍に埋もれるようにして暮らしていた。ありとあらゆるジャンルの本が並んでいる。一見、雑多に思えるがそうではない。森羅万象(しんらばんしょう)を極めたいという強い欲求がたぎっていた。
林助さんの書斎は、長年使えるように設計がなされている。どんどん増えてゆく本。その度ごとに改造し、増築しあふれてゆく。そんな宇宙の中で、今でもキーボードを前に作曲し、ことばをせっせと紡いでいる
林助さんの姿が浮かぶ。
伝説の人であったが、しかしまた、伝説を作る人でもあった。
ある出版社の編集者が取材にやって来た。近くの喫茶店で対応した
林助さんは、あまり乗り気ではなかった。相手が何を望んでいるか見透かしていたからだ。
「快人」「奇行」「破天荒」等々を待ち望んでいたからだ。
コーヒーが出る。
「お砂糖は?」と編集者。
「要りません。」
「ミルクは?」
「要りません。」
「ブラックですね?」
「いえ、醤油を少々…。」
「???」
目が点になった遠来の編集者の前で、
林助さんはコーヒーをゆるりとすすった。
この話を聞いた小生は、「ところでその御味は?」と当人に尋ねた。
答えはなかった。コーヒーに醤油という組み合わせこそは、
林助さんならではの発見であったのである。
どこまでもクリエイティブであることに命がけだった
林助さん、このような話がいくらでも周辺にあったのである。
*てるりん=照屋
林助
*この原稿は「第1回
コザ・てるりん祭」のために寄せられたものです。