照屋林次郎の略歴
1953(昭和28)年2月9日生。三線作りは16歳の時から始めた。
祖父の林山(りんざん)は琉球古典音楽の最大流派、野村流の幹部。戦後の荒廃した沖縄を歌と三線で勇気づけた功労者の一人であり、三線作りの名人としても知られた。林次郎はこの林山に三線作りのすべてを教わった。
父である林助は、歌とお笑いのレビュー「ワタブーショウ」で戦後沖縄で一番のスターとなった異能の人。歌手、作曲家、作家など八面六臂の活躍で本土でもたくさんの信奉者を持つ。林助も生前、三線、改造ギター&三線などで優れた才能を発揮した。
照屋家は親戚も含めて、芸能の町コザ(現・沖縄市)で筆頭の音楽的素養豊かな家系であったが、その素養を存分に受け継いだのが、兄である照屋林賢(りんけんバンド)と弟の林次郎だった。
兄の林賢はバンド・リーダー/名三線プレイヤーの道へ進み、林次郎は三線製作者としての修練に励んだ。祖父亡きあとは、その正統的後継者として現在に至っているが、その実力は沖縄タイムスの現代の名工シリーズでも高く評価され(2005年)、さらにザ・カード誌の沖縄大特集号では(2001年)、林次郎の紹介だけで5ページが費やされている。
仕事の中心は何といっても伝統的な三線の製作だが、各方面からその才能を見込まれて、ギターの特別製作ほか舞台美術、オブジェの依頼にも応じている。
沖縄市在住。母が切り盛りする照屋林助三線店の隣りが、彼の工房だ。
2007年6月、東京、岐阜、沖縄本島、石垣島、竹富島の4箇所で初めての三線展覧会を敢行し話題となった。
(文・藤田正)